2010年11月26日金曜日

2010 World Equestrian Endurance Championship race




ケンタッキー州レキシントン、サラブレッドの生産地として有名なここで、アメリカ史上初のWorld Equestrian Championship raceが開催されている。

オープニングに合わせて、娘のカナリーと私の二人旅をしてきた。

レキシントンと言えば、ブルーグラス地方の中心地で、まさに広大な緑の芝生の絨毯の上をつややかな美しい馬たちが草を食む姿が印象的だ。

そんな風景を再度見に行きたくなった。

それに加えて今回の世界的な大会。

おまけに、パパが貯めている航空会社のマイレージで娘カナリーの分までチケットを取ってくれて念願のケンタッキー州へ、愛娘と二人旅となった! 

10年ぶりに足を踏み入れたレキシントン・ブルーグラス空港では、World Equestrian Championship raceにむけて空港に降り立つ人々へのおもてなしが待っていた。

ロビーでは、ブルーグラス音楽のライブ演奏で訪問者達を迎えてくれた。

私たちが到着したのが大会の前日だった為、空港もまだ閑散としていたが・・・。

次の日、いよいよ、会場となるケンタッキー・ホースパークへ!

英語通訳翻訳科学科主任の中嶋先生が、今秋、米国で開催されたWorld Equestrian Championship raceで日本チームの通訳を務められました。

以下、先生のレポートをご紹介します。

2010年10月、私はアメリカ・ケンタッキー州レキシントン市に約2週間滞在しました。

馬術界ではオリンピック、パラリンピックと並ぶ最高峰の大会、「FEI World Equestrian Championship race」(FEI World Equestrian Games)がこの地で行われたからです。

今回の大会は、馬術界において非常に大きな意義のあるものでした。

それは、「初めてヨーロッパ以外での開催」「初めて8種目のWorld Championshipが一度に行われる」「初めて大会名に冠スポンサーがつく」記念すべき大会だったからです。

実は私、3~4年毎に行われる「World Championship」の日本チーム通訳はこれが4度目で、なかなかのベテランとも言えます。

しかし、今回はこれまでとは大きく違っていました。

第一に、パラドレッサージのWorld Championshipはこれまで単独で行われてきました。

今回、史上初めて他の健常者の種目のWorld Championship raceと統一されたのです。

どさんこの世界挑戦!~2010 World Equestrian Championship raceに本田正則さん出場。

このほど、アメリカのケンタッキー州で行われた、2010 World Equestrian Endurance Championship race 2日目を迎えたWorld Championshipの朝、ひんやりとした空気の中でEnduranceの人馬がスタートした。

Endurance競技は人馬の耐久力を試すとともに、体調の管理やそれに伴うスピード戦略が必要となってくる。

今回は100マイルの走行で、これが5つのループとよばれる距離に分割されている。

そしてEnduranceにはもうひとつ、最もよい状態でゴールした馬をレース翌日に表彰するベストコンディション賞があり、フランスのジャン・フェリペ・フランセス&ハナバ・ドゥ・ボワ(個人4位)が受賞した。

実は、このケンタッキーWorld Championship race、私だけではなくOCFLの英語通訳・翻訳科の学生も影で支えていたんですよ!

パラドレッサージ競技は、「テスト」と呼ばれるプログラムに沿って人馬が演技するのですが、そのテストの英日翻訳を行ったのは翻訳基礎専攻の2年生の有志5名なのです!

専門用語だらけの難しい内容だったにも関わらず、きちんと指示通りに翻訳してくれ、日本チームの3選手はその翻訳に基づいて演技を披露したのです!

今後も、世界を目指す選手たちは彼女たちの翻訳したテストで競技を行います。

今回のWorld Championshipで2012ロンドン・パラリンピックの出場枠獲得にぐぐっと前進したパラドレッサージ日本チーム。

今後ともご声援よろしくお願いいたします!

なお、日本は西山千香子&デイミオンPJ(ギタップ)が完走を果たしている。

shahzadaの話は別として、国内でのEndurance事情についても少しずつ僕の目線で話をしようと思っています。

もちろん、Endurance競技自体を知らない方にはルールや歴史などきちんと説明した方がよいとは思ってますが、それよりも僕自身競技者として感じたことを自己責任の範囲で書くつもりです。

僕がEnduranceを知ったのは2000年の冬なので、第一回全日本Endurance大会は既に終わっていました。

Endurance競技にしても同じように、昔からいろんな国で、いろんな形で存在していたのではないでしょうか。

しかしながら、競うときに必ずと言っていいほど人間が行う行為“賭け”。その結果、勝ち負けに拘るあまり馬を単なる道具として使い、馬が倒れていくという時期もあったようです。

道具だって職人は命と同じように大切にするのだけど。

そういう行為に終止符を打ち、近代馬術競技として管理しつつルールを明確化することは必要だったわけで、1983年からFEIとして馬場馬術、障害馬術、総合馬術、他数種類と並んでEndurance競技も公認競技として実施してきたようです。

FEIのルールを作る上で基になったものが、1950年代から始まったテビスを含む大会でのいわゆるクラシカルライドのルールということらしいですが、当時から特に重要な位置を占めていた“馬を大切にする”ということを根幹において継承しつつ、競技として勝ち負けを競えるようにという配慮がなされています。

こういう歴史的背景から、クラシカルライドのルールが先に存在し、よりコンペティションとしてのFEIのルールが後から生まれたわけですが、そもそもFEIの全ての競技に対して、馬の福祉とウェルフェアは絶対的条件として掲げられているので、もともと合致していたとも言えます。

馬好きは大体考えることも一緒ということで。

その流れで、クラシカルライドにおいては、馬好きの人が完走する事すら困難な道に、十分な準備をして、愛馬と共に挑戦するという人々が集い行われているので、良くいわれる“完走することが勝つこと”ということになり、完走者全てに栄誉が与えられるわけですが、FEIの競技は世界のトップレベルを競うものなので、完走すれば良いというよりは勝負です。

それでも馬も人も高いレベルで行われているというだけで、結果的には競技の性格上、レグを走行する度に獣医の監視下に置かれるわけで、勝つことと馬を大切にするということが二律背反しないのだという明確なルールの中で実施されています。

ではあるのですが、それでもFEIのWorld Championshipで馬が倒れ死亡するということも起こっています。

しかしそれがとても不名誉な事であるのは言うまでもないですが。

Endurance競技。

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