2010年11月18日木曜日

Asian Games Taekwondo




Taekwondo男女各2階級を行い、日本勢は女子49キロ級の笠原江梨香が銀メダルを獲得した。

笠原は決勝で北京五輪金メダルの呉静ユ(中国)に敗れた。笠原江梨香「本気で金メダルを狙っていたので悔しい。

ただ自分のスタイルは出すことはできた。

まだまだ成長できると思う」。

Asian Games、柔道の福見の件も酷かったが、 なんかTaekwondoでも妙な事が起きてるみたいよ。

女子49kg以下級で、 中国代表選手(北京五輪金メダリスト)の有力なライバルの一人と見られていた 台湾代表、Yang Shu-Chun選手が一回戦で、ヴェトナム人選手を相手に 9-0とリードしたところで、突然反則負けの判定。

Taekwondoでは北京五輪後に、判定のために電気測定器つきの道具を 使うようになったらしいのだが、 Yang選手のソックスが規定のものではない から反則であると審判団の判断。

だが、Taekwondo協会認定メーカーのもので、 試合前のオフィシャルチェックでは何の問題もなしとして、 パスしていて、当然試合に使用していたわけで・・・

Taekwondo女子49キロ級で、競技歴5年目の笠原江梨香(20)=大東大=が、女子日本勢でAsian Gamesでは最高の銀メダルを獲得した。

道着を脱げば、浜崎あゆみが好きなふつうの女の子。

中国・広州で行われているAsian Games 6日目に、日本の笠原江梨香がTaekwondo49キロ級で銀を獲得しました。

同競技では女子として初の快挙です。

朝日新聞や毎日新聞等で大きく取り上げられています。

笠原選手は、私が通学している大東文化大学の学生です。

大東文化大学は、Taekwondo競技において日本で1・2の強さを誇っていますが、笠原選手はその中でもエース級の働きをし、常に好成績を収めています。

学内の新聞や学内に掲げられる「のぼり」でも頻繁に紹介されていますので、笠原選手のことは多くの学生が知るところです。

国費で設立された大東文化大学は、大きな東の文化を研究する大学ですので、東アジア諸国との交流は盛んです。

韓国の競技であるTaekwondoが盛んなのもその一貫と言えます。

日本の国技である相撲や弓道も強豪校として知られていますし、柔道、剣道や空手も盛んです。

ちなみに、ラグビーや箱根駅伝等で全国優勝していることについては、ご存じの方も多いかと思います。

東アジアの学問と伝統を重んじる大学へ、これから行きます。

今日は、大学院の授業です。

Taekwondo女子49キロ級で、競技歴5年目の笠原江梨香(20)=大東大=が、女子日本勢でAsian Gamesでは最高の銀メダルを獲得した。

決勝では2008年北京五輪金メダルの呉静ユ(中国)に1-13と大敗したが、12年ロンドン五輪に期待できるニューヒロインが誕生した。

自転車の男子スプリント決勝は北津留翼(25)=日本競輪選手会=が中国選手に敗れ、大会2連覇ならず。

Asian Gamesでは日本が過去11大会で無敗を誇ってきた"お家芸"が崩壊した。

負けん気の強さは、あのエリカ様にも劣らなかった。

「昨年のアジア選手権の決勝で負けた雪辱したかった。

この悔しさは決して忘れない」。

切れ長の瞳からボロボロと悔し涙がこぼれ落ちた。

前蹴りを食らい尻もちをついても、側頭部に打ち込まれても、ひるむことなく世界女王に食らいついた。

結果は1-13の大敗。

それでも、これまでは98年バンコク大会63キロ級の岡本依子(00年シドニー五輪67キロ級銅)の銅が女子最高。

競技歴わずか5年目の女子大生が、五輪級選手が多数出場するAsian Gamesに初めて出て、銀メダルを獲得する快挙だ。

「銀は悔しいけど、形として残る結果を出せてうれしい。

夢だった五輪もはっきりと見えてきた」。

強い決意とともに表彰台で笑顔を輝かせた。

道着を脱げば、浜崎あゆみが好きなふつうの女の子。

友達からは「ホントに強いの?」と言われる。

静岡・伊東市の空手道場で指導する父・仁さん(38)にイジメ克服の目的で小1から習った。

Taekwondoには高校1年で転向。同時に技量を上げるため、父娘で全国各地のアマチュアボクシング、キックボクシングの打撃系格闘技の大会を転戦した。

相手の側頭部を電光石火の速さで切る左上段蹴りは父譲りだ。

「初めて会ったのはあの子が高1の時。

すぐにキラリと光るものを感じた。

パワー、体力、そして何よりも戦う姿勢が強かった。

アジアが一番強い競技でメダルを取れれば世界でも取れる」。

日本代表の金天九監督の目は確かだった。

3大会連続五輪出場でシドニー銅の岡本は、あこがれの存在だ。

高2での初の代表合宿では偶然、岡本と同部屋になった。

「楽しくやんなよ」と励ましてくれた底抜けに明るい先輩は、北京五輪後に引退。

「岡本さんは尊敬する存在であり、超えていかなければいけない存在。

まだまだ経験が足りない」と笠原。

アジアからロンドンへ。

シンデレラの挑戦が始まる。

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